2007.12.08
25才が僕の高校生活の卒業でした。
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卒業式に伝えられなかったこと。
高校時代にずっと好きだった女の子がいたんです。大きな瞳でお人形さんみたいにかわいくて、クラスのマドンナ的存在でした。その時僕はシャイガイで女の子と普通に会話すらできなかったモテナイ君で、彼女に話しかけすらできませんでした。卒業式の日、いくじなしの僕は何も行動を起こせずただ家路に着くだけ。後輩から、第二ボタンをねだられることもないまま、さみしい卒業式でした。クラブの後輩男子から、洗濯物を吊り下げるハンガーをもらったのが救いでしょうか?
でも、大学時代に大阪でたまたま彼女に会うことがありました。それは、うちの親父が会社の旅行で大阪に来たときのことです。彼女のおねーさんもうちの親父と同じ会社に勤めてたんです。心斎橋のホテルにいる親父に会いに行ったら、なんとそこに彼女がいたんです!そう、彼女も大阪の大学に行ってて、大阪に来たおねーさんに会いに来てたんですよ。これは、神様のくれたチャンスだったんですね。でも、そこでも僕は彼女に話しかけることすらできなかった。ほんとにダメな野郎でした。
そして、月日は流れ、彼女のことを忘れかけた頃、同窓会があったんです。当時25才。偶然にも彼女と同じテーブルだって、そこで、やっと普通に彼女と話せることができたんです。よせばいいのに、一人で勝手に盛り上がった僕は、その後彼女の勤めてる化粧品売り場に、いとこの就職祝いに口紅を買うとか嘘をついて、彼女と30分のおしゃべりした後、前の日に書いたラブレター(ずっと好きでしたみたいな文章)を渡して、その場から去りました。ラブレターには、僕の連絡先を書いておいたので、きっと返事をくれるだろうと踏んで待ってたんです。でも2週間しても何の音沙汰もなくて、結局また、彼女のいる化粧品売り場に答えを聞きにいきました。彼女の答えは、「今付き合ってる人がいるのでごめんなさい」でした。その時は、同窓会のときに彼氏がいるか聞いておけばよかったと後悔するよりも、ずっといえなかった「好き」という言葉を、伝えることができてスッキリした気持ちの方が大きかったですね。
その時、やっと僕は高校生活を卒業できたんだと思います。
その時のことは、今でも忘れられない思い出になってます。
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卒業式に伝えられなかったこと。
高校時代にずっと好きだった女の子がいたんです。大きな瞳でお人形さんみたいにかわいくて、クラスのマドンナ的存在でした。その時僕はシャイガイで女の子と普通に会話すらできなかったモテナイ君で、彼女に話しかけすらできませんでした。卒業式の日、いくじなしの僕は何も行動を起こせずただ家路に着くだけ。後輩から、第二ボタンをねだられることもないまま、さみしい卒業式でした。クラブの後輩男子から、洗濯物を吊り下げるハンガーをもらったのが救いでしょうか?
でも、大学時代に大阪でたまたま彼女に会うことがありました。それは、うちの親父が会社の旅行で大阪に来たときのことです。彼女のおねーさんもうちの親父と同じ会社に勤めてたんです。心斎橋のホテルにいる親父に会いに行ったら、なんとそこに彼女がいたんです!そう、彼女も大阪の大学に行ってて、大阪に来たおねーさんに会いに来てたんですよ。これは、神様のくれたチャンスだったんですね。でも、そこでも僕は彼女に話しかけることすらできなかった。ほんとにダメな野郎でした。
そして、月日は流れ、彼女のことを忘れかけた頃、同窓会があったんです。当時25才。偶然にも彼女と同じテーブルだって、そこで、やっと普通に彼女と話せることができたんです。よせばいいのに、一人で勝手に盛り上がった僕は、その後彼女の勤めてる化粧品売り場に、いとこの就職祝いに口紅を買うとか嘘をついて、彼女と30分のおしゃべりした後、前の日に書いたラブレター(ずっと好きでしたみたいな文章)を渡して、その場から去りました。ラブレターには、僕の連絡先を書いておいたので、きっと返事をくれるだろうと踏んで待ってたんです。でも2週間しても何の音沙汰もなくて、結局また、彼女のいる化粧品売り場に答えを聞きにいきました。彼女の答えは、「今付き合ってる人がいるのでごめんなさい」でした。その時は、同窓会のときに彼氏がいるか聞いておけばよかったと後悔するよりも、ずっといえなかった「好き」という言葉を、伝えることができてスッキリした気持ちの方が大きかったですね。
その時、やっと僕は高校生活を卒業できたんだと思います。
その時のことは、今でも忘れられない思い出になってます。
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